社長エッセイ

英国のEU離脱劇から思うこと

 国民投票で英国がEU離脱を決定、というショッキングなニュースが流れました。大方の予想を裏切って、どうしてこんなことになったのか。EU反対派は、移民から自分たちの職と地域の治安を守ることが狙いだったといわれます。国とか共同体とか市場の統合とかいう前に、目の前の生活を守りたい、守られなければならない、ということが住民の根源的な欲求、それがはっきり示されたということだと思います。投票の結果を知り、はじめてそれを軽視していたことが分かった、ということではないでしょうか。「民意」とは結局はそうしたもの、これは私たち開発にかかわる人間にとってもしっかり理解しておくべきことだろうと思います。
 国の重要なかじ取りをこうした国民投票で決めることの愚も指摘されています。「民意」は大事ですが、そこには感情が交じっていることが多く、必ずしも冷静な判断がなされるわけではない。「民」にとってもっとも大事なことはあくまでも自分の生活であって、国ではない。分野の専門家と違って「民」の知識や情報には限りがある。そうした「民」に、国の方向性を決めさせるのは酷なことです。それをやってしまうと、最近よくいわれるように政治が「ポピュリズム」化してしまい、政治家が人気取りに終始するようになる。そんな政治をやられたら国は大変なことになる。だから、その道の専門家が職を賭すという覚悟と責任感を持って、しっかりと国の方向性を決める、決めてもらうことが正しい道筋だろうと私は思います。
 会社とか組織の経営も同じだろうなあと思いながら、このEU離脱劇を眺めていました。かじ取りの大事なところは大衆迎合的にはできない、すべきではないという思いを改めて強く持ちました。少なくとも組織を預かる責任者として、組織がどこに向かうかを自分ではなく多数決で決める、決してそんなリスクを冒してはならない、と思います。自分自身で責任が取れないからです。おそらく、プロジェクトで総括役を担っている社員諸氏も、同じ気持ちだろうと思います。もし会社やプロジェクトがおかしな方向にいき始めたとしたら、その時はリーダーを代える、ということが正しい選択であって、判断を多数決に委ねるなんてことは決してすべきではない、そんなことを思っていました。
 さて、もう一つ感じたこと。これまでずっと、世界を俯瞰し一つにまとめていくのはアングロサクソンしかできない、といわれてきました。事実、戦後は彼らが世界を仕切ってきたわけです。国連を筆頭に、開発援助の世界も同じです。私自身は、それを苦々しいと思う反面、確かに彼らにしかできないことだろうなあと受け入れていました。日本の行政官がとてもその役回りを担えるとは思えないし、そもそも日本人の性格からして世界をまとめて引っ張っていくことなどできないと思っていたからです。日本の援助の中身もすべて、国連とか世銀とかUSAIDの後追いですよね。独自色を出しているわけではないし、そうした気概を持っているわけでもない。
そんなところに、英国のEU離脱とか、米国でトランプ氏の内向き主義が大きな賛同を得るとか、私には信じられない出来事がどんどんと起こるようになってきました。私の中にあった彼らへの憧れとか、コンプレックスといったものがガラガラと崩れていくような感覚があります。自国のことばかり考え始めた彼らを目の当たりにして、実に情けないなあとも思います。
では、これから混とんとする世界を誰がまとめていくのでしょうか。もしかしたら、世の中の仕組みが、あるいは時代が変わりつつあるのかもしれませんね。これからはアジアの時代だといわれます。といっても、別の極端に走っている中国が、とてもこれまでのアングロサクソンのように世界をまとめていくとは思えません。では、これからのアジアを支えるのは誰なんでしょうか。アジアをまとめ、世界をまとめるリーダーはどこにいるのでしょうか。日本の役割、我々日本人の役割、途上国の開発において私たちが果たすべき役割をそんな意識でとらえると、誰かの後追いではなく、「開発援助」というものについて一本筋の通った考えを持ち、かつ、もっと世界を俯瞰的に見る、そして世界を引っ張っていく、そんなことがますます求められる時代になってきたのだと思います。「援助大国」としてたくさんのお金を使っている国の義務としても。