社長エッセイ

「動機づける」ということ

仕事をする上で、人はいったい何によって動機づけられるのでしょうか?それが本当にわかっていて、本当に実行できていれば、周りの人といつも上手にやっていくことができて、いつも素晴らしい成果を出せているはずです。プロジェクトの運営も、組織の運営も、順風満帆のはずです。すべては「人間関係がなせるわざ」だと思うからです。こうしたことを考えるとき、「マズローの法則」が参考になります。人間の欲求を5段階のピラミッドで示した図は、皆さんもよくご存知のことと思います。これに私の個人的な解釈も加えながら考えてみます。
まずは、「生理的欲求」、人を動機づけるために最低限必要なこと、これはつまり「食べること」であり「生きること」、要は生命としての欲求がベースにくるとされています。その一つはやはり、「生活に必要なお金」ということになるのでしょう。生活が保障されない限り、人を動機づけることは難しいということです。当然ですよね。
でも意外なこともあります。ある案件で、相手国政府に雇用された10数名のプロジェクト職員に対して、半年以上もまったく給与が支払われない、という事態が発生しました。この国、よくこれで政府として機能していると思えるほど、何をやってもどこかで滞ります。当の職員たちもそれをわかっているのか、初めのうちはあまり目くじら立てることもありませんでした。しかしさすがに半年以上支払いゼロは、どうみても忍耐の限度を超えています。いよいよ翌週ストライキか、という段階になって、日本側から先方政府に向けた強い要請もあり、ようやく改善に向けて動き出した、ということがありました。
この例、生理的欲求からはうまく理解できないのです。10数名全員が生きていけるだけの貯えなり、サポートがあったからだとは思いますが、これだけの長い時間給与ゼロで活動を続けることについて、彼らを動機づけることができたのはいったい何だったのだろうか、と考えます。生活が保障されているわけでもないのに、とても珍しいケースだろうと思います。マズローの法則で考えれば、より上位の欲求(後述)がよほど強かったのでしょう。そうだとすれば、我々がこうした場面に直面した時でも、彼らに動いてもらうよう、あきらめず知恵を絞る余地がある、ということなのです。
お金は食べていくために最低限必要な欲求ではあっても、それ以上のドライビングフォースにはなりえない、というのがマズローの考えです。高額な給与や利益など、大きなお金がさらなる動機になっている人も結構見かけるのですが、実は人間本来の欲求は別にある、ということなのでしょう。それは例えば(後述するように)人に認められたり、自分の目標を達成することであって、お金はインセンティブにはなりえない。だから余計に、お金は怖いのです。気を付けないと、すぐにマイナスの動機付けにつながるからです。
例えば、同じ国ですが、その国の習慣としてプロジェクトに関わると手当が出るため、職員もそれを期待してカウンターパートになったのに、上からの突然の決定で「手当は出さない」ことになりました。さてそれからがずっと大変な騒ぎでした。最終的にはこちらからの残業代で代替する、ということで落ち着いてはいますが、問題は「約束事として一度でも期待した」お金をもらえなかった、ということなのです。
お金によるネガティブな影響を避ける方法は唯一、事前にきちんと約束をし、事後は誠実にその約束事を履行する、そして一度決めた約束事は誰に対しても適用する、例外なし、ということに尽きると思います。会社のなかで私が皆さんと少しでもお金が絡むことで話をする際に、もっとも気を付けているのはこのことでもあります。
さて、生理的欲求の上は、安全欲求、社会的欲求と続きます。前者は安心、安全に暮らせること、落ち着いて仕事ができる事務所、職場環境などもこれにあたるのでしょう。自分の机がなくなる、と思ったらよい仕事どころではないですよね。後者は他者から受け入れられること、帰属していると感じること、例えば部での活動、育成チームとJCとの活動など、会社としての活動に自分も加わること、そう感じられることもその一つではないでしょうか。とすれば、そこそこの給与と良い職場環境と会社の活動への参加、まずはこれらすべてが満たされた上でないと、それ以上の動機にはつながりにくいということなのです。
それらの上には尊厳(承認)欲求、そして最上位の自己実現欲求へと続きます(どうもその上に、自己超越欲求があるらしいのですが、ここでは省略します)。前者は「自分には価値がある」と自分が思えるかどうかです。例えば、会社の利益アップとか、成果の発現とか、社会に貢献しているとか、そういったことに自分が役に立っているという実感があるかどうか、そして周りからもそう認められているかどうかです。このレベルになると、外の環境だけではなく、自分自身の内面が満たされるかどうかが、動機付けの大きなウェイトを占めるようになってきます。そして最後は、自分が自分のやりたいことをやって、自分の能力が発揮されている、自分がなりたい自分に近づいている、ということです。まさに自己実現。「なりたい自分」が見えてない人には、この段階に到達することはできないわけです。だから皆さんにはなりたい自分をつねにイメージして、それに向かってくださいと伝えています。
KMCという組織では、最上段にあるこの「自己実現ができるかどうか」に重点を置いているといえます。組織とは時に、その組織の在り方自体が、実は社員の自己実現を阻害する存在になる、と感じることがあります。組織論理を前面に押し出しすぎると、せっかく力を持っている人たちでさえこのレベルまで到達しません。実にもったいないことです。だからKMCでは、その下のレベルでできるだけ引っかからないようにすることで、皆さんが本来持っている「自分」を発揮してもらいたい、と考えているのです。それを超えて、どうすれば自分自身の内面が満たされるのか、どうすれば自分の力を発揮できるのか、会社ができることには限りがあるようです。あとは皆さん一人一人が自分に向き合い、自分の内面を探求し、自分の力で動機付けをしていく、ということではないでしょうか。