社長エッセイ

【部長シリーズ第9回】地域産業開発部長:安全な場所~究極の認知と称賛に必要なもの~

私が途上国開発の実務現場に足を踏み入れたのは、1998年9月から3年半を過ごしたパキスタンの日本国大使館が最初でした。が、このポストを得るのは決して簡単なことではありませんでした。前年に英国留学を終えて、「これからは現場だ」と意気揚々だった私ですが、応募するポストが悉く不合格で現実の厳しさに打ちのめされました。「留学は何だったのか」「誰も私を必要とはしていないのだ」。会社を辞め、貯金をつぎ込んで2年間留学すれば、途上国開発の仕事ができると思っていた私は、世の中そんなに甘いものではないことを思い知らされたのです。

お金もなくなって戻ってきた私を両親は何も言わずに、家においてくれました。不合格の通知が来るたび、力を落とす私を彼らも心配していたに違いありません。今となっては、すっかり記憶も薄れてしまいましたが、私にとってはとにかくつらい日々でした。

パキスタン大使館の専門調査員の職が決まったのは、インドに引き続いてパキスタンが核実験を行った直後でした。欧米諸国に引き続き、日本政府も経済制裁(正確には経済措置)を実施、現地ではドルレートが高騰し、市中銀行でのドルの引き出しは停止になりました。不穏な情勢に不安を覚えました。周囲にパキスタン赴任が決まったと言うと、「なんでそんな危ないところにわざわざ行くのか」「やめた方がいいのではないか」といった反応で、自分の運の悪さにさらに落ち込みました。

しかし、居場所を見つけられなくて苦しんでいた娘を見てきた両親は娘に新たな機会が与えられたことを、心から喜んでくれました。「行っていいんだ」、私は心底ほっとしました。どこかで誰かに背中を押してほしかったんだと思います。二人はテロのことも、核のことも何も言わないで、娘を送り出してくれました。

パキスタンでの3年半は、私の開発コンサルタントとしての基礎を作ってくれました。毎日が刺激に満ちていて、学ぶことは尽きませんでした(赴任後1年目にクーデターで軍政に移行、9.11の後には米軍がやってきました。。。)。30年たった今でも、本当に貴重な日々だったと感じます。そして、私自身がうまく受け止められなかったパキスタン行を、両親が一番に喜んでくれたこと、一歩を踏み出すよう励ましてくれたことが、私の人生にとっては最高の「認知と称賛」だったなと思うのです。

グーグルの研究で有名になった「組織の心理的安全性」という概念があります。グーグルが組織のパフォーマンス研究の結果、メンバーの知能やチーム構成、働き方などよりも、チーム内のメンバーが感じる「心理的安全性」こそが、チームの生産性を最大化するというものです。つまり、メンバーが「ここでは何を言っても安全だ」と感じる職場こそが、メンバーのポテンシャルを最大限に引き出すことができるのです。心が弱っていた20年前の自分は、両親が提供する「安全な場所」に救われました。会社がそういう場所になれれば素晴らしいですね。また新たな挑戦をするときに、守ってもらえる場所がある、味方してくれる仲間がいると感じられることが、一歩を踏み出す勇気を与えてくれるということもあるでしょう。

KMCの文化として、推進している「認知と称賛」。ポジティブな認知と称賛ももちろん大切です。しかし、一歩踏み込んで、仕事で苦しんでいる人、壁にぶつかっている人への認知(とできた時の称賛)も実は非常に重要で、とても奥深いものではないかと思われます。その人を本当に理解し、信じてあげることが必要だからです。両親は娘に無条件の愛と信頼を寄せてくれます。しかし、同じことが他の社員にできるでしょうか?これを実現するには、皆がもっともっと心を開いて、本音で議論することが必要でしょう。その先に理解し、信頼しあえる関係性が生まれるでしょう。正直まだ私にもできてないと思います。しかし、これができるようになれば、組織としては本当に強くなれるでしょう。その時こそKMCは本当に「すごい組織」になったと言えるのではないでしょうか。