社長エッセイ

ミャンマーで想ったこと ~開発とは?~

 現在(6月25日)業務出張で来ているミャンマーにはとても敬虔な仏教徒が多く、それ故どこの街や農村でも大小様々、形も色々なパゴダが建立されています。カウンターパートと一緒にサイト出張にいった時、「出張に来たら毎朝パゴダにお参りをしてから仕事をしているが、Mr.岡部もどうだ」というので、「それはぜひ喜んで」と毎朝早く彼らと一緒にその地のパゴダにお参りしつつ観て回る貴重な機会を得ることができました。

 皆さんと同様、仕事柄世界中の途上国にいきますが、私自身はアジア、特に東南アジアに関心が引かれるところが大きく、その一つの理由は「ブディズムを通じて自分に向き合う」という部分になぜか共鳴するからなのかもしれない、と毎朝ブッダの前で手を合わせながら改めて強く感じた次第です。

 さて、その一方で、このブディズムを「開発」という観点からとらえると、率直な気持ちとして少々「やっかい」でもあるなあと感じているのも事実です。開発とは、もともとその個人や組織が自ら問題意識を感じ、それを何とか改善したい、何とか向上させたい、という強い気持ちから発生するものだというのが私の見方です。途上国の開発において、我々のように外から援助する立場の人間にとっては、それをあくまで側面支援することで彼らの自立につなげていこうとしているのだということです。

 仮に現状で良いと感じている人たち、つまり問題意識の低い人や組織、あるいはやる気のあまりない人や組織に対しては、そのままそっとしておいてあげればよいわけで、開発協力なんてものは必要ない、するとすればそれは援助する側がやりたいからに過ぎない、自己満足しているだけ、そんな勝手なことをしているから途上国の人々の中にいつまでたっても自立発展性が根付かない、というのが私の開発援助に対する見方、姿勢でもあります。

 でもそう言うと、だから意識改善が-いまsensitizationなどとも表現されていますが-必要だという声が聞こえてきそうですが、それこそがまさに先進国の価値観の押し付けに過ぎず、いったい何を持って我々の価値観が他国の人々にも受け入れられると信じているのか、それ自体がまず疑問ではないでしょうか。

 特に途上国の人々とたいした議論もせず、たいしてその国の文化習慣を理解もせず、先進国の人間が彼らにいたずらに押し付ける平等意識や公平性こそ、彼らにとっては実ははた迷惑な価値観に過ぎません。彼らが求めない以上、彼らの意識改善はありえない、したがってそれでは開発は進まないということです。

 さて、今回の短い滞在期間の中で、ミャンマーの人々の様子や意識に触れるにつけ、誤解かもしれないことを承知で感じたことを書けば、彼らの多くは貧しいがほとんど不満や問題意識を外に出さず、現状を現状として受け入れながら、与えられた環境の中で坦々とそしてまじめに生きている、ということでした。そこで上の議論に戻るわけですが、こうして問題意識を持っていない、あるいはそれが外の人間に伝わってこないとき、果たして今のミャンマーにとって本当に開発援助は必要なのかという素朴な疑問、必要とするならばそれをどのように進めるべきなのかという逡巡が私には生じています。

 本当に彼らが我々に協力して欲しい、と思っているのだろうか。ミャンマーの人々は口をそろえて「自分たちは外からの人たちを素直に受け入れ、やさしくおもてなしをする国民だ」と自己評価しています。 それであればなお、外からやってきた我々が拒否されることは無いでしょうが、それを一歩進めて、プロのコンサルタントとしてどう成果を出すのか、つまり彼らに本当にどう満足してもらうかということを真剣に考えたとき、そうした彼らの意識や考え方が私に「やっかいだ」、つまり「仕事をするのが難しい」と感じさせるのです。

 現在のミャンマーは軍事政権ですし、政党もなく、ほとんどのことがトップダウンで決定されるという現状から、まだまだ民主主義国家とはいえないのも事実です。 人々はブディズムゆえに現状を受け入れている、というだけではなく、もしかすると軍事政権の圧政ゆえ人々はそうしたことを口にできないということもあるのかもしれません-この国にいるとよく聞かれる議論です。 それでも私には、たとえ圧政があったとしても人々はそれを圧政と感じずに、一つの現実として坦々と受け入れている、その根幹にあるのはやはりブディズムなのだと感じられるのです-ミャンマーの仕事はこれから先まだまだ続くので、また違った「気づき」も出てくると思いますし、それはそれで改めて書くことにします。

 さて、皆さんもそれぞれの国やそれぞれの業務で様々な苦労をしていると思います。ただ、もし仕事が簡単にいくのであれば、あえて我々が関わる必要もない、大変だからこそ我々のようなプロが請われて途上国を飛び回っているのでしょう。つまり苦労があるというのは我々の仕事の大前提であり、プロであるならばそれを乗り越えて成果をだすのが当たり前のはずです。

 では実際にどうすれば我々自身が「成果をあげることができた」と胸を張って一つの仕事を終えることができるのか。それにはまず、途上国の人々の考え方や問題意識をしっかりととらえた上で行動することではないか、彼らの意識をどう理解し、どうそれに働きかけていくのか、どうすれば喜んでもらえるのか、を考え実行していくことにつきるのではないかと思います。 私にとってミャンマーの仕事は、それがこれから取り組むべき「やっかいな」課題、しかし一方で実は「コンサルタントとしてとてもやりがいのある」課題なのだと感じています。