社長エッセイ

日本人らしく

 このところよく、日本人ってどうしてこうも自虐的なのかなあ、と思います。新聞読んでいてもネガティブな内容が多く、何よりもいたずらに日本人が日本人を責めることが多い、と感じるのは私だけでしょうか。周りの国が日本人をこう批判している、だから日本人はだめなんだ、どこどこの国で日本企業の事業がうまくいかなかった・非難されている、だから日本人はだめなんだ、日本のODAはこんな無駄遣いをしている、十分な成果を上げていない、だから日本のODAは悪だ、等々。ネガティブなところだけを見て、ことさらそれを強調することがあまりにも多い。

 結局、日本人が日本人であることに自信や誇りを持てないでいる、あるいは持たせないようにしている。これってどうしてなんだろうなあ、と不思議に思います。ずいぶん前のことですが、ある新聞が世界中の人々にアンケートを取ってみたところ、日本人だけが際立って、今の自分の国の人間で良かったと思う人の率があまりにも低い。そのことに驚いたことを良く覚えています。まあ確かに一度は戦争に負けて、そのレジームをずっと引きずっているのかもしれませんが、それでも世界第2位になるまで経済復興を果たしてきたわけですし、戦争に負ける前は自他ともに「強い」国であることは認められていたわけです(あくまで私見ですが)。渡部昇一氏にいわせると、「(日本人が自らをどう見るかは)東京裁判史観を受容した範囲内で言論を続けるか、それを打ち破ろうとするか」(「日本を讒する人々」PHP研究所)によるそうですが。

 途上国で仕事をしていると、確かにどこも貧しいし非効率的なこともたくさん目につくけれど、人々には活気があるし、政治や制度が時代に合わせて変化あるいは改善しようとしています。援助資金を借りている立場上、政治は外からの押しつけで動かざるを得ないのでしょうが、少なくとも表向きは前を向いて動いている。一方で日本は、これからどんな国づくりをしようとしているのか、誰にも見えていないし、誰も深刻に考えていないような気がします。こんなことをしていて、日本はこの先どうなるんだろうという不安が私の中には強い。マスコミは日本や日本人を批判するけれど、それが何のための批判なのかが見えない。時の首相しかり、新政権しかり、田母神氏しかり、ホリエモンしかり、新しい存在、異色の存在が出てくると、初めは持ち上げるけど、しばらくすると皆そろってコキおろしに転じる。ともかく出る杭や目立った存在をしばらくしてから引き落とすこと、首を変えることだけを楽しんでいるのではないか、とさえ思います。でも変えたその先が何もないんですね。だから国の首相でさえ、途中で放り投げる人間が続いたりして、いつまでも変わり続けている。国民でさえも一億総評論家状態。自分でリスクはとらないで、批判ばかりしている。そんな人がとても多い。そんなことやっているうちに、日本という国が他の国にどんどん追い抜かれているような気がしています。おそらく実際にそうなっているのだろうと思います。手遅れ、にならなければ良いのですが。

 そんな不安があるので、それなら日本が沈没する前に、引退したら国外に逃げ出そうかどうしようかと本気で考えていました。自分の国なのに情けないですよね。でも本当は何か、日本が強くなること、自信を取り戻すことをやりたいと思っているわけです。でも何かやると、訳も分からずに周りから叩かれる。それじゃあやりがいがないし、そんなことに残りの人生を使うのは馬鹿らしい、と思って二の足を踏んでいるわけです。まあ、といってそれほど大げさなことを考えているわけではないんですが。でも、おそらく危機感を持っている人の多くは同じ想いなんじゃないでしょうか。

 でも最近は、別に引退するまで待つ必要もないか、KMCにいる間にできることをやってみようという気になっています。今の私たちにできることは、ODAにおける日本人のやり方の素晴らしさ、日本人でしかできないことを知り、自信を持ち、それを途上国の人々や日本人自身にきちんと伝えたり実行することだと思います。

 今のODA、気がつくと横文字にあふれていますね。ODA全体の流れがハードからソフトに代わってきた頃からではないでしょうか。驚くことに、どの国にいっても、どの国のカウンターパートも口をそろえて同じ横文字を口にします。パーティシペーション、ジェンダー、サステナビリティ、ガバナンス、アカウンタビリティ、キャパシティビルディング・・・等々、時代によって流行語のように言葉が変わりますが、国は変わってもその時に出てくる言葉は同じ。世界中で、ですよ。日本で途上国の人々相手にPCM研修やっても同じですね。研修生がよく「サステナビリティ」が大事だって言って、他の研修生がそうだそうだってうなずきますが、おいおい、それって実際には何なの?もっと具体的に考えてよ、っていう問いかけをすることがあります。結局どこからかの受け売りに過ぎないわけです。

 支援をしてもらう国の人々は先進国のご機嫌を損ねるわけにはいかないので受け売りの言葉を使うのは仕方がないのかもしれませんが、何も日本までもがそんな横文字を後追いすることはないですよね。もちろん良いことは取り入れれば良いのですが、日本は日本独自のやり方があってよいし、そうあるべきだと思います。国や地域の開発というコンテクストで、やらなければならない基本的なことは同じはず、時代が変わってもそんなにコロコロ変わるはずがないと思いませんか? その中で日本人として何ができるのか、もっと良く考え良く知れば見えてくるはずです。他の先進国がどうだことだということにあまり振り回されない。もっと取捨選択すればよい。それよりも日本がここまで発展してきたことを振り返り、何が良かったのかを知り、それを途上国の人々にシェアしていく。こんなことができるのは、国内外の政治に振り回されない、現場の最前線に出て苦労しているコンサルタントしかいないのではないかと思います。あとは勉強。これからのKMCの大きなアジェンダ(私自身のアジェンダかもしれませんが)の一つとして、仕事をてがけていきたいと考えています。