社長エッセイ

【部長シリーズ第8回】「認知と称賛」-農村開発部長より

今期のテーマは、「認知と称賛」です。

私は「認知と称賛」が得意ではありません。自分なりにやってはみるのですが、どうも上手くいきません。最初に 私が「認知と称賛」にとり組んだ相手は妻でした。結婚直後は互いに仕事が忙しく、残業も多いので、いつも疲れていました。共働きなので家事も分担制。担当の家事と仕事とをこなすのに精一杯、新婚なのにいきなり生活に疲れ切った 2 人、という感じでした。そんなとき妻が「あなたに褒めてもらえるともう少し頑張れるんだけれど…」と言いました。そうです、私には感謝の言葉が足りなかったのです!これからは、もっと称賛と感謝の言葉を妻に贈ろう。と思い、実践しました。しかし妻の評価は今ひとつです。「なんだか褒め言葉がわざとらしい」。妻と話している時は、いつ感謝の言葉を発するべきかということをいつも考えるようにしました。「今だ!」と思った時に、感謝の気持ちを伝えましたが、自然なコミュニケーションではなかったようです。いずれもっと上手にできるようになる。その時はそう思っていました(約 10 年前)。

 

現在、アフリカにおけるフードバリューチェーンの調査を同業他社のA社と合同で実施しています。総括は私、副総括はA社のKさん。つまり2 社で業務管理グループを形成しています。A社からはもう一人Nさんが入ってくれていますが、2人とも30代のナイスガイ。技術力は高く仕事に対する取り組みもしっかりしており、とても助けられています。

 

そんなある日、現地で団内会議を行った折りに、「ここは総括として認知と称賛すべきだな」と感じ、しっかりと称賛しました。しかしKさんからは「いやー、それわざとらしいっす。」という批判の言葉が返ってきました。妻にわざとらしいと言われてから10年、私はちっとも称賛することが上手くなっていませんでした。私には称賛する才能が無いのでしょうか。

A社の方に「わざとらしい」と言われて 2 週間後、まだ調査は続いていました。2人はコンスタントに仕事をこなしつつ、所々で元気の良いところを見せていました(流石まだ30 代…)。

 

そんなとき自然に、「つくづく2人には助けられますよ」という言葉が出ました。しばらくして K 氏からポツリ「今のは自然で良い感じでしたよ」。

 

あたり前ですが認知と称賛には気持ちが伴っていないと、意味がありません。言われる方もわざとらしさに鋭く気づくものです。そういう点で認知と称賛をKMCの「文化」とする、ことはとても重要なことだと思います。心からの称賛、感謝、認知がスッと言える、ということは意外に難しい(少なくとも私には未だ難しいようです)かもしれませんが、コツコツとり組んでいきたいと思います。