社長エッセイ

【部長シリーズ第10回】企画管理部長:認知と称賛ー「在る」ということを否定せずに認めるー

COVID-19の世界的流行の中、これまでにない状況の中で過ごさねばならない日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、KMC通信は本号を持って第70号となるそうです。この記念号の巻頭言を依頼されたのは、はるか数カ月前のことですが、この原稿を提出するまで、全く何も書けませんでした。何も書けなかったというのは少し誇張があって、実は3~4つ書き始めたのですが、全く内容が支離滅裂で、途中で何を言いたいのかわからなくなり、ボツにしてきました。

その間、モンモンと過ごしてきたわけですが、私の中で渦巻いていたキーワードは「第70号記念号に相応しい内容」、「KMC通信はKMC文化の象徴」、「認知と称賛」でした。

しかし、自分自身を振り返ってみると、文章を書くのは全く苦手、人見知りで雑談が下手、つまり話題がない、面白くない、と自覚しているのだから、そもそも巻頭言など書けるわけがありません。出来そうもないことをやろうとしているのに、頭の中を渦巻くキーワードでアウトプットのハードルを自ら高いところに設定してしまっていたわけです。

中でも巻頭言のテーマである「認知と称賛」について、私自身は称賛された経験がありません。また、認知についても、どちらかと言うと人知れず、気ままに自由にしているのを好むので、認知されるのを避ける傾向にあります。

とここまで書いて思うところがありました。文章が書けないのは単にトレーニングが足りないだけとも言えますが、認知と称賛についてはなぜそうなのでしょうか。称賛された経験がない・・・おそらく覚えていないだけです。認知を避ける・・・本当は気づいてほしいはずです。

そこで、いったい自分のなかで何が起こっているのか、探ってみることにしました。どのように探ったかというと、ヨガをやっておられる方ならご存じかもしれませんが、ボディスキャン瞑想をやってみました。やり方はインターネットにいろいろ載っているのでここでは省きますが、足のつま先から(又は頭の髪の毛先から)順番に体の各部位にゆっくり意識を移しながら、それぞれの部位が感じている感覚を感じ取ってゆく方法です。

今回はもし褒められたら、ということを軽く念頭におきながらやってみました。そして気づいたことは褒められると恥ずかしい、何と言って答えたら良いかわからない、なぜ褒められるかわからない、と言うことでした。ようするに称賛を受け取れない状態でした。なぜそう思うようになったかは、更に探る必要があるのですが、これがわかった段階で、ちょっと肩の荷が下りた感じがしたのも事実です。

称賛をなかったこととして扱うため、称賛された経験がないと思ってしまう。ではこれからは自信をもって・・・とはならないのですが、自分の中のメカニズムがわかると少し安心できます。この安心感が原稿を出すことにOKを与えているような気がしております。

翻って、多少強引ではありますが、認知の効果もこういうことかと思いました。「在る」ということを否定せずに認める。そうすると安心感が生まれる。安心感が何かの行動につながる。

本巻頭言に求められる水準をクリアしているかどうか考え出すと、また混乱するので、自らの気付きをまとめたところで、筆をおくことにします。

KMCの活動が正常になる日が早く来ますように。