社長エッセイ

【部長シリーズ第13回】地域産業開発部長:コロナ禍―変わるもの、変わらないもの―

2021年もコロナ禍の中での幕開けとなりました。2020年1月、中国の武漢で謎のウィルス感染が拡大していた時、私はパキスタンのサッカルにいました。定宿のNGO宿舎でぼんやり眺めていたTVで、感染拡大を食い止めるため武漢への主要道路が封鎖されたことを知りました。

 

その時は、このニュースがやがて自分にも関わってくるとは夢にも思っていませんでした。2021年4月24日現在、全世界の感染者数は1.45億人、死者は300万人。日本でも累計56万人が感染し、約1万人が死亡。4月25日には3度目の緊急事態宣言が発令されようとしています。

 

コロナ禍は私たちの世界を徐々に、しかし着実に変えています。人の動きは大きく制約されたままです。私も2020年2月にパキスタンから帰ってから丸々1年、一度も海外にでていません。それどころか、会社にさえ行かない日々が続いています。

 

人との関係も変わりました。会話や会食といった、人にとって不可欠な他人との関りこそが、感染の原因となることから、これらの活動が大きく制約されています。人は人と関わることで自らの存在の意義を感じ、生きていく力を得ているはずですが、その根本的なことが病気の原因となってしまうというパラドックス!(しかしだからこそ、ウィルスにとっては生き延びるために好都合ということになるのでしょう)

 

しかし悪いことばかりではありません。移動できなくなったことで、オンライン会議の活用が進みました。パキスタンのプロジェクト関係者とはたとえ現地に出張しても先方が多忙で会えないことがあったのに、今では毎月オンライン会議で対話しています。前よりコミュニケーションしているかもしれません。KMCの定例会も、以前は東京にいる限られたメンバーだけで開催していたものが、海外に在住しているコンサルタントの方々にも参加いただけるようになり、スリランカやシンガポールの様子をライブでうかがえる贅沢な状況になっています。とある案件では、旅費を1円も使わずに、30件の先進事業者のインタビューを全てオンラインで実施していただき、高い成果を上げています。会社に行く必要がなくなったので、家事と業務を両立させたり、時には実家からテレワークをすることで、老親の面倒を見ることも可能になりました。コロナ禍という制約があったからこそ、これまでの常識にとらわれない新しい働き方や業務の進め方の可能性に気づくことができたと言えます。

 

とはいえ、コロナ禍を働き方の工夫で乗り切れる、それが却ってプラスになったなどと言える我々は本当に恵まれた一部の人間であることを忘れてはなりません。信じられない数の人々がコロナに感染し、命を落としています。医療従事者や関係する政府・自治体関係の方々はコロナとの終わりの見えない戦いに疲弊しきっているでしょう。何より、外出や会食が制限されたことにより、経営に大きな打撃を受けた企業、職を失い、さらに住む家さえ失ってしまった人々がたくさんいるのです。医療制度が脆弱な途上国の現実はもっと悲惨でしょう。

 

コロナ禍はすでにあったあらゆる格差を拡大し、明確にしました。貧しい人、女性、高齢者、非正規労働者など社会的に弱い人がより深刻な影響を被っています。また格差が明確になることで、人々の間の差別や分断も深刻になっています。人種、所得差、性差、あらゆることが差別の理由となり、分断は今や一国の中だけでなく、国と国の間にも広がっています。このような動きの中で、中国、ロシア、北朝鮮、ミャンマーなど強権的な政権が日本の周囲に増えつつあることも懸念材料です。民主主義や人権尊重を掲げる欧米の価値観は脅威にさらされ、欧米主導の国際秩序は流動化しつつあります。加速化する気候変動、その一つの帰結ともいえるコロナ禍を通じて、多くの人が自然との共生の重要性に気づき、持続可能な開発目標(SDGs)や カーボンニュートラル、社会的責任投資(ESG)への関心が高まる一方、これらの努力を一瞬で無にしてしまうような国家間の対立が進んでいることに、底知れぬ不安感を感じているのは私だけではないはずです。コロナが終わったとき、世界は確実に今とは違うでしょう。開発コンサルタントの役割も刻々と変わっています。変化の時代、先が見えない今だからこそ、重要な変化を見逃さず、開発コンサルタントとして何ができるのかを考えていくことも、我々の責務と言えます。