社長エッセイ

好調、されど危機感

 日本のODA業界が活況を呈している、といっても良い状況です。そしてそれに伴ってKMCの業績(売上)がとても順調です。特に業務実施を含むチーム案件については、これまで年間1本程度しかやってこなかった会社が、今期はいきなりこれまでに業務実施7件、民間関連のチーム案件が3件、プラス契約交渉中が3件。「KMCをチーム案件中心の会社にしよう!」という昨期の皆さんへの呼びかけにホントに良く応えてくれたと思います。確かにタイミングが良かったこともありますが、私たちにはすでにそれだけの底力があったということの証でもあると思います。

 とはいいつつ、でもその一方で、何か居心地の悪さを感じているのも事実です。素直に喜べないのはコンサルタントとしての性なのかとも思いますが、日本の景気の悪さから考えても、これはいつまでも続く話しじゃないよなあ、とささやくもう一人の自分がいます。先日の研修合宿、ログハウスで皆さんと語り合いながら最も感じたのは、そして嬉しかったのは、こうした危機感-日本自体がヤバイという危機感と、日本のODAやそれに寄りかかっているKMCの危うさ-がけっこう共有されている、ということでした。私にとっては今回の合宿での最も大きな成果の一つ、でもありました。その時、この危機感が会社にとって現実のものとならないよう、今のうちから手をうたなければという想いを新たにしました。決意を固めた、とでもいうのでしょうか、そう決めたんですね。

 今年の3月、実に17年ぶりにラオスを訪れましたが、驚いたことは、走っている車のほとんど全てが韓国製だということでした。つい最近まで、アジア諸国をはじめどの国にいっても日本の新車・中古車が大活躍していましたが、この変わりようは一体。。。(パキスタンはまだカローラが多いようですが)。携帯電話もほとんどが韓国製になってしまったし。ラオスでは北は中国、西・南はベトナム、東は(メコン川があるお陰でこの2国ほどではありませんが)タイ、それぞれの国の公的・民間双方から資金や人がどんどんと流れ込んできている。ラオスにとってはまさに経済侵略といえるような状況になっている。見方を変えればそれだけ周辺諸国は実にアクティブに動いている、そして結果的に日本のプレゼンスは大きく下がっている、これは疑いようがない事実です。日本の援助のあり方も変えていかないと、彼らのスピードやインパクトには到底かなわない、日本のODAのあり方が問われている、そんな危惧を抱きました。

 こうしたことを本当に実感できるのは、途上国に足を運び仕事をしている我々のようなごく少数の人間に限られるのだろうと思います。マジョリティは、まあデータをみればそりゃそうだけどね、だから何?、程度でおそらく危機感にはほど遠いのではないでしょうか。日本企業の内向きさ、アジア諸国を含む海外への進出の動きが鈍いことからもそれは分かります。でもこのままでは「日本はヤバイ!」。政治も政権争いなんていつまでもやっていないで、外を向いてしっかりリーダーシップを発揮すべきですし、それぞれの企業も今外に出ないとチャンスがない、外に出て他の国の企業と勝負して勝ってしっかりシェアを取る、くらいに意識して動かなくちゃならないだろうにと思います。

 ユニクロの柳井正さんが最近書いた「現実を視よ」(PHP研究所)にはこんなことが書いてあります。「21世紀における新たな成長センターとしてアジアがある。人を惹きつけ、資金が流れ込んでいる。まさにゴールドラッシュが起こっている。アジアの国々の中で唯一日本だけが取り残されている。『平和ぼけ』の日本は完全に出遅れている。それどころか国家存亡の危機に立たされている。今すぐに手を打たなければ、これまで想像したこともない「貧困」があっと言う間に、日本に押し寄せてくる。だから国民一人一人がそうした問題を意識し、理想を持ち、自分が何を出来るかを考え、そして行動を起こせ。」

 これに対して、KMCという小さな会社が、社員一人一人が、開発コンサルタントとして海外と直に関わっている立場から、できることはたくさんあるのだろうと思います。まず、伝えること、支援すること、そしてみずから動くこと。日常的にこうした状況を見ている我々が色々な場で日本のマジョリティに危機感を伝えること、気がついてもらうこと、日本企業が自信を持って海外に出かけてもらうようサポートすること、そして「日本人」であることを意識し、我々自身が誇りを持って開発協力に携わること、そして今の世の中にあった協力のあり方を、日本の援助業界に自ら-コンサルタントという枠を超えてでも-示していくことだろうと思います。では私自身がどう動けばよいのか、そんなことを考えています。来期からは少し私の動き方が、そして会社のあり方も変化していくかもしれません。

 岡部